働き方・降格

管理職を外れてみてわかった。あの頃の自分に言いたいこと

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管理職を離れて、3ヶ月が経ちました。
少し時間が経ったことで、あのころのことを少し冷静に振り返れるようになってきました。渦中にいるときは気づけなかったことが、外に出てみてはじめてわかることがある。

今回は、管理職だったころを振り返りながら、「あの頃の自分に言いたいこと」を正直に書いてみます。

管理職をやっていたあの頃

ぼくが管理職になったのは、会社からの期待があってのことでした。それが誇らしくもあったし、「ちゃんとやらなきゃ」という気持ちの原点でもありました。

部下のことを気にかけながら、現場の問題も拾いながら、上の指示にも応える。それが「管理職の仕事」だと思っていたし、それをこなせることが自分の価値だと感じていました

今思えば、少しずつ無理を重ねながら、それが普通だと信じてやっていた時期でした。

一番しんどかったのは、上と下の板挟みだった

管理職のころ、一番消耗していたのは「板挟み」でした。

上からは「もっとこうしてほしい」「なんでこうなってるんだ」とプレッシャーがかかる。一方で現場では部下の仕事の進捗を見て、トラブルがあれば対処して、チームの空気も保たなければいけない。

ゆるお
ゆるお

早く現場を抜けると部下が不満そう。現場にいすぎると上から「大丈夫か」と言われる。どちらかを立てると、どちらかが立たなくなる——その状態がずっと続いていました。

しんどいと思っても、「管理職なんだから当然だ」と自分に言い聞かせていました。弱音を吐ける場所もなかったし、吐いてはいけないと思っていました。帰宅してからも、休日も、頭の片隅にそれがずっとありました。

それがじわじわと、体と心を削っていたんだと、今はわかります。

あの頃の自分に、一つだけ言えるとしたら

💬「無理しなくていい。」

それだけです。

「もっとできる」「やらなきゃいけない」と思って、ひたすら踏ん張っていたあのころの自分に、「そこまで頑張らなくていい」と教えてあげたい。

管理職でいることが自分の価値だと思っていたけれど、そうじゃなかった。役職は肩書きであって、自分そのものじゃない。そのことに、もっと早く気づけていたら、休職まで追い詰められなかったかもしれない。

でも、あのころの自分には、それがわからなかった。だから仕方ない。

降格は「負け」じゃなかったと思えた理由

「降格する」と決まったとき、正直なところ、悔しさや情けなさがありました。「負けた」という感覚が、どこかにありました。

でも今は、そう思わなくなっています。

一番大きかったのは、家族との時間が戻ってきたことです。

帰宅が2時間早くなって、夕食を一緒に食べたり、子どもと話す時間が増えたり。管理職のころは、家に帰っても「お父さん疲れてるから」という空気があったと思います。それが少しずつ、変わってきた気がします。

ゆるお
ゆるお

家族のそばにいられる時間が増えたこと。それが、「この選択は間違いじゃなかった」と思える、一番の理由です。役職よりも大切なものが、ちゃんとあった。

おわりに

管理職をやっていたあのころを、後悔しているかというと、そうでもありません。あの経験があって、今の自分がいる。

ただ、「もう少し早く気づけていたら」とは思います。

💡 あの頃の自分に伝えたいこと

✅ 無理しなくていい
✅ 弱音を吐いていい
✅ 役職より、自分の体と家族の方が大事

同じように、今も頑張りすぎている誰かに届けばいいなと思いながら、書きました。

ぼちぼちいきましょう。

ABOUT ME
ゆるお
ゆるお
会社員
ゆるおと申します。 「ゆっくり、自分らしく、ぼちぼち生きていこう」そんな思いを込めた名前です。 40代・高卒・製造業の会社員。 適応障害で休職し、復職・降格を経て、今を生きています。 妻と子どもに支えられながら、焦らず、無理せず、一日一日を積み重ねています。 このブログが「自分だけじゃないんだ」と感じてもらえる場所になれば嬉しいです。
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